ぷちトラvol.11唐津くんち特集「ぷちトラ流 唐津くんちの曳山鑑賞法」 2010年11月発行


1番曳山 赤獅子 刀町 文政2年(1819)
1番曳山 赤獅子 刀町 文政2年(1819)

2番曳山 青獅子 中町 文政7年(1824)
2番曳山 青獅子 中町 文政7年(1824)

唐津神社の秋季例大祭「唐津くんち」の曳山行事は国の重要無形民俗文化財に指定されており、普段は静かな唐津の町も、くんち期間中(11月2、3、4日)は多くの見物客でごったがえす。 唐津地方の産土神を祀る唐津神社の創建は古く奈良時代といわれているが、江戸時代になると唐津藩の祈願所として唐津城内(現在の場所)に社が設けられ、一般の氏子たちは参詣も寄進も禁止されて、たいそう歯がゆい思いをしたそうだ。 江戸後期になると財力を貯えてきた町人たちが、唐津神社の秋の例大祭に各町競うようにして立派な曳山を奉納。年にただ一度、町人たちはこの時とばかりに、曳山を曳いて意気揚々と大手門から城内へと足を踏み入れた。 その先陣を切ったのが刀町の「赤獅子」だ。文政2年、御神幸の行列に初めて総漆塗りのこのあでやかな曳山が登場すると、まつりの雰囲気は一変。5年後には中町の「青獅子」がこれに続き、以後明治9年まで半世紀をかけて現存する14台の曳山がすべて出そろって、今の唐津くんちのカタチができあがった。 まつりでは14カ町14台の曳山が製作年順に巡行する。先頭を行く刀町の「赤獅子」、そして中町の「青獅子」が見えたら、初めてこの総漆塗りの曳山が御神幸の列に加わった時のことを思い浮かべながら、当時の町人パワーの結集でもある唐津くんちの長い歴史をかみしめてみたい。


3番曳山 亀と浦島太郎 材木町 天保12年(1841)
3番曳山 亀と浦島太郎 材木町 天保12年(1841)

材木町で看板屋を営む岡さんは、曳山の本部組織の副総取締。「亀の顔は意外と怖かもんね。笑っとるとか、はらかいとるとかわからんもん(笑)」。

「赤獅子」「青獅子」とくれば、次もまた…と予想していた人たちの期待を見事に裏切って、3番目に登場したのが「亀と浦島太郎」だ。材木町は海に近いので、神様の乗りものである亀を題材に選んだらしい。 材木町の岡了さんは昭和11年生まれ。まだ唐津くんちが今のような整然としたカタチになる以前は、町内ごとに自由にまつりを楽しむ雰囲気があって、岡さんも夕方仕事が終わると、ジャンパーに下駄ばきのままで駆けつけて宵曳山に参加。曳き回すコースもその日の気分次第だったという。 特に、昔から曳き子の人数も多く威勢のよさでならした材木町は、御神幸の日も御旅所までは順番通りでも、そこから浜へ曳きこむ際、勢い余って前の曳山を追い越してしまったことも。さすがに以前ほどの荒さはないにしても、今でも元気のよさでは14カ町一。あまり大きな声では言えないが、一昨年も台車をぶつけ、電柱をまっぷたつに折ってしまったそうだ。 曳山囃子はゆっくりとしたリズムが特徴で、ドスンドスンと重量感のある太鼓の音に材木町らしさが出ているという。 三番曳山が通る時は、ぜひそんなところにも注目しながら眺めてほしい。それぞれに身の安全は確保しつつ。



8番曳山 金獅子 本町 弘化4年(1847)
8番曳山 金獅子 本町 弘化4年(1847)

「赤獅子」「青獅子」に続く獅子として、弘化4年に登場したのがこの八番曳山。3台目ともなると、ただの獅子では許されないところがツライ。巡行の先頭を行く2台の先輩獅子を超えなければ、つくる意味がないと本町の人たちは考えた。そして出来上がったのが、これでもか!というくらい高価な金箔を惜しげもなく全面にほどこした、豪華絢爛たるこの「金獅子」だ。 さらに大きさにもこだわった。よーく見比べてみると確かに「赤獅子」「青獅子」よりも顔が大きい。 うちん曳山が一番! 本町に限らず、14カ町の曳き子たちみんながそう思って曳いている。そんな心意気こそが、まつりの原動力なのだ。


〈写真協力〉 社団法人唐津観光協会

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