2013年ぷちトラvol.17 唐津くんち特集 唐津くんち、うわさの真相。

この特集は、2012年の唐津くんちの取材をもとに構成しました。 


無礼講が勘違い
唐津くんち おせったい
唐津くんち おせったい

家紋入りの立派な幕が張られた江川町の市丸家。あいさつ回りにやって来た曳山関係者のくんち装束が、宴席を華やかに盛り上げます。

 たとえば会社の宴会で、部長も課長も平社員もポジションの垣根を取り払い、みんな和気あいあいとお酒を酌み交わす。これが一般的な解釈の「無礼講」ですが、唐津くんちの「無礼講」には、それとは違う特別な意味が込められているそうです。

 唐津神社の戸川忠俊宮司によりますと、「身分制度が厳しかった江戸時代、町民は城内へ出入りすることを禁止されていました。でも、旧暦9月29日のくんちの時だけは特別に城内にある唐津神社への参拝が許されたんです。それが唐津くんちにおける本来の無礼講です」と。

 

 実は唐津の産土神である唐津神社はかつては別の場所に祀られていました。それを唐津藩初代藩主・寺沢志摩守広高が唐津城築城の際に城内に移し、藩の祈願所にしてしまったために、唐津っ子たちは神社への自由な参拝がかなわなくなったのです。だから、1年間待ちに待ったくんちの日、唐津城の大手門の扉が開くと、彼らは曳山と共に意気揚々と大手門をくぐり、唐津神社への参拝を果たしたということです。

 

 ところが、その「無礼講」がいつしか「町内のふるまい料理の席に、誰でも自由に上がってご相伴にあずかれること」という誤った解釈となり、テレビやガイドブックなどマスコミまでが誤報道。そして、「バスガイドさんが『○号車の方は、こちらへ』とツアー客を町内のふるまい料理をするお宅へ誘導していた」などという、うわさまで飛び出します。

 地元で聞き取りをしてみますと、そこまでの具体的なセリフは確認できませんでしたが、バスガイドさんが「このあたりで、みなさんどうぞご自由に」というようなシーンは実際にあったとか。町内の皆さんからは「見知らぬ団体さんがワイワイやって来て、飲んで食べて、果ては料理を保存容器に詰めて持ち帰った」などという過激なエピソードまで飛び出しました。

 

 唐津くんちのふるまい料理は、3カ月分の収入をつぎ込むくらい豪勢という意味で「三月倒れ」と表現されます。商家である町内の各家が、顧客や取引先を招待して盛大にもてなすところから生まれたくんち文化ですが、このハンパではない大判ぶるまいが「さあさあ、誰でもいらっしゃい!」という太っ腹なイメージで受け取られ、「無礼講」の誤解を生んでしまったのかもしれません。最近では、その誤解も徐々に解けてはきているようですが…。

 

唐津くんち おせったい

唐津くんちの豪勢なふるまい料理を一般的に「三月倒れ」と表現しますが、戸川宮司によりますと、もともとは「貢ぎ倒れ」というのが正しいとのこと。くんち接待のために「貢ぎつくす」という意味なのだそうです。写真は地元でも有名な江川町森家のふるまい料理。名物の大きなアラの姿煮は2日がかりで味を煮含めます。くんち期間中、女性たちはほとんど寝る間もないとか。