国道498号国見峠から有田方面を望む。はるか向こうの折り重なる山々の谷間を埋めるように有田皿山は広がっている。
国道498号国見峠から有田方面を望む。はるか向こうの折り重なる山々の谷間を埋めるように有田皿山は広がっている。

あれからもう400年もの歳月が流れてしまいました。

あなたが有田の泉山で良質の磁器原料を発見して

日本初の磁器焼成に成功したという、あの日からです。

秀吉の朝鮮出兵で日本に連れて来られたあなたは

理想の土を探し求めて20年近くも

佐賀藩内の山々を歩き回ったそうですね。

その後、有田焼にめくるめく隆盛の時代が訪れ

山間の一寒村だったあの有田が

目を見張るような陶都に生まれ変わった。

そんな華やかなりし時代の面影を残す今の有田を

あなたにお伝えしたいと思います。


ぷちトラVol.20最終号

【取材協力・有田についてのお問い合わせ】

有田商工会議所  TEL: 0955-42-4111

有田観光協会  TEL: 0955-43-2121

有田町歴史民俗資料館  TEL: 0955-43-2678

【写真提供】

今泉茂富さん 有田町龍泉荘

 マリラ・ハンナ・オブシャースキさん 有田町国際交流員

池田 孝さん 有田町歴史民俗資料館


拝啓、李参平さま

ほら、ここが泉山。

あなたが見つけた宝の山ですよ。

右写真中央のひと山分ごっそり削り取られているところが【泉山磁石場】(一部国史跡)。黒髪山系のあちこちで磁石は採れていたそうだが、泉山はその埋蔵量がすごかった。まだまだ産出能力はあるものの、明治の終わりに台頭してきた白くて成形しやすい天草陶石に取って代わられ、現在ではほとんど採掘されていない。


  ちょっとびっくりですか? あなたが泉山で磁石を発見して以来、今日まで400年にわたって採掘され続けた結果、岩肌も露わなこんな姿になってしまいました。このひと山分の磁石がそのままそっくりやきものに形を変え、国内はもちろん海を渡って東南アジアやヨーロッパへまでも輸出され、その有田焼が今でもかつての王侯貴族たちの宮殿を飾っている。すごいことですね。泉山は江戸時代を通して皿山代官所によって厳しく管理され、最も上質な磁石は藩窯に回されて将軍や諸大名への贈答品にもなったそうです。

 「泉山での磁石採掘の音が山にこだまし、不気味な感じがした」。江戸時代後期に有田に立ち寄った歌人が日記にこう書き残しているそうですが、地元の人たちにとってそれは有田で生み出されるやきものの鼓動のようなもの。ほかにも磁石を粉砕する唐臼の音、薪を割る音、窯を焚く炎の音など、かつては町中がそんなやきものの鼓動であふれていたのでしょう。

 昭和50年代までは泉山から岩を砕く発破の音が毎日のように鳴り響いていたそうです。現在は熊本の天草陶石に主役の座を奪われてしまいましたが、まさにこの泉山の土によって名もなき陶工たちが現代の私たちをもうならせる名品の数々を生み出してきた。そう思うとこの風景が心にしみます。

応神天皇、鍋島藩祖直茂公と共に「陶祖・李参平」が祀られる【陶山神社】。境内には磁器製の鳥居、狛犬、大水瓶、灯ろうなどが奉納されていて、窯業に携わる人々の信仰を集めている。小高い山の上に建てられた陶祖の碑からは眼下に狭い谷間を埋めるように広がる有田内山の風景が一望のもと。毎年5月4日には有田焼の繁栄を祈願して「陶祖祭」が行なわれている。


拝啓、李参平さま

こんな辺鄙なところに、

なんでこんなにすごい都があるのか…。

「有田千軒」といわれて繁栄した時代、初めて有田に足を踏み入れた人は目の前に広がるそのまぶしいほどのにぎわいに自分の目を疑ったことでしょう。なんでこんな山の中に…と。想像するだけで何だか愉快です。かつては陶器の窯も数多くあったようですが、泉山発見から約20年後の1637年、佐賀藩はその陶工たちを有田から一掃。税収のドル箱となる磁器の窯だけを残して皿山の本格的管理運営に乗り出します。その結果、一番手厚く保護された川の上流の内山地区は、有田焼の隆盛と共に繁栄を極めることに。その時代に肥前の山奥にやきものの一大産業都市をつくりあげてしまった佐賀藩のプロデュース手腕は見事。良質な磁石の山を発見したあなたはその最大の功労者であり、その後も仲間の朝鮮陶工たちを束ねるリーダーとして有田焼の発展に大いに貢献したということで、今では陶祖として陶山神社に祀られています。

 残念ながら「有田千軒」といわれた有田の町並みは文政の大火(1828年)で焼失。九州を襲った台風によって窯焼きの火が飛んで瞬く間に燃え広がり、谷底にひしめく集落は燃え尽くされてしまったそうです。その後、一旦は出稼ぎで各地に散った陶工たちが地元に戻り、登り窯を仮の住まいにして町を復興させます。それが今の有田へとつながっているのです。



 

 

◀︎ここが毎年ゴールデンウィークに

100万人近い人出でにぎわう「有田陶器市」の主会場。


文政の大火後の江戸末期から明治、大正、昭和にかけての和風洋風建築が混在する内山地区の町並みは【国の重要伝統的建造物群保存地区】。昭和初期の道路拡幅工事では、軒を削ったり家を土台ごと曳いたりして古い建物を残している。

拝啓、李参平さま

トンバイ塀のこの小路、

いったいどこへ続いているんでしょうか。

 この小路は地元の人が職場へ向かう通勤路だったり、子どもたちの通学路だったり、つっかけをはいてちょっとそこまでの生活路だったり。同じ内山地区でも窯元や商社などの店舗が建ち並ぶ表通りとは違って、有田焼の工房や工場、住宅が密集する裏通りは、今も昔も普段着の有田を垣間見せてくれる場所です。トンバイ塀が続く入り組んだ小路を歩いていたら、いつの間にか窯元の工場の敷地に迷い込み、代々の陶工たちが眠る墓地に突き当たり、といろいろな風景との出会いがあってカメラ片手に散策するのが楽しくて。薪窯の大半がガス窯や電気窯に切り替わった現在、用を成さなくなった煙突のてっぺんにちょこんと松の木が生えているのもちょっとした発見です。

 泉山磁石場のある川の上流に磁器窯だけが集められてできたこの内山地区。磁器焼成技術の漏えいと泉山の磁石や製品の闇取引を防ぐために、かつては東西に設けられた番所で人と物の出入りが厳しく監視されていたとか。藩のそんな必死の防衛作戦により、国内の他産地で磁器が焼かれるようになったのは江戸後期のこと。つまり、200年近くも秘密を守り切ったことになります。

内山地区の裏通りを歩いているとあちこちで、登り窯を解体した後の耐火レンガ(トンバイ)や、使い捨てた窯の道具、陶片などを赤土で塗り固めて作った【トンバイ塀】に出会う。かつて各窯元はこの高い塀で屋敷や仕事場を囲んで、やきもの作りの現場が外から見えないようにしたのだとか。赤土がくずれ、草がはえ、苔むした古いトンバイ塀は絵になる風景としてアマチュアカメラマンの格好の素材だ。


これ、おすすめ!

国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている有田内山地区の伝統的建造物を一軒一軒チェックして制作された内山散策マップ【ありたうちやまあるき】。窯元や商家のお庭編、ショーウィンドウ編、コレクション展示館編などもあって内山散策がますます楽しくなる。

問合せ先/

「ありたうちやまあるき」制作実行委員会代表 : 田中妙子さん

TEL 0955-46-4596


拝啓、李参平さま

すっかり変わってしまったもの。

そして、今も昔も変わらないもの。

 泉山は400年でその姿を大きく変え、内山の町並みも時代による変遷がありましたが、あなたの頃から変わらないものといえば、この有田が誇る風景ではないでしょうか。もともと谷間に広がる有田ではふと視線を上げると町のどこからでも山が見えます。特に陶器市の頃は新緑のまぶしさが何ともいえません。

 有田に陶芸を学びに来た海外からのアーチストたちが口をそろえて絶賛するのもこの美しい自然です。山水画のような山々に抱かれた歴史あるやきものの町。自然と文化のこの渾然一体感が彼らにとってたまらない魅力のようです。やきもの作りに没頭していたあなたもまた日々、この美しい自然に癒されていたんでしょうか。

 そうそう、「秘色の湖」と呼ばれる有田ダムは新しい自然といえるでしょうか。起伏に富んだ岩山が変化に富んだエメラルドグリーンの美しいダム湖を形成。桜、新緑、紅葉が美しく、町民の散歩コースにもなっています。「秘色」とは「青磁の青」をさす中国の故事からきているそうで、有田らしい命名です。


●写真左【黒髪山】有田の自然風景はよく「山水画のようだ」と形容されるが、黒髪山(日本の自然百選)のこの切り立った岩礁群がその風景を特徴づけている。●写真右【有田ダム】有田内山の札の辻交差点からトロトロと緩やかな坂道を20~30分ほど上っていくと黒髪山地に抱かれた美しいエメラルドグリーンの有田ダムが見えてくる。有田町の中心地からこんな近い場所に、こんな豊かな自然があるとは驚きだ。●写真左上【竜門ダム】桜・新緑・紅葉の季節はもちろん、厳寒期の凍えるような風景もまた凛としていい。


佐賀県有田町は豊かな自然風景が自慢だが、それを裏付けるように「名水」「自然」「棚田」など町内だけで6つも「日本自然百選」に選ばれた場所がある。竜門ダムのさらに奥、神秘的雰囲気を漂わせる【竜門峡】もそのひとつ。渓谷を流れる水は「名水百選」「水源の森百選」に選ばれるほど清らかで、その水域で生まれ育った鯉は身が引き締まりコリコリッと歯応えがあってとても美味。竜門ダムの入口にある川魚創作料理の【龍泉荘】(TEL 0955-46-3617)では、鯉こく・あらい・にぎり・中華風あんかけなど多彩な鯉料理が楽しめる。


拝啓、李参平さま

いまも あちらこちらの

山や畑の中に窯元の集落があります。

応法地区の大正創業「瑞峯窯」
応法地区の大正創業「瑞峯窯」

 ここはどこかといえば、昔は「外山」といわれたエリアです。佐賀藩は有田焼を藩の財政を支える一大産業に育てるために、まず皿山と呼ばれる磁器の窯場を大きく3つのエリアに分割。泉山のすぐそばの川の上流地域を「内山」、その下流に広がる西部地域を「外山」、さらにそれらを大きく取り巻く地域を「大外山」とし、それぞれのエリアごとに原料となる磁石の等級や作るものなどを決めて管理運営していたとか。

 「外山」には7ヵ所の窯場があって、そのひとつがここ有田町の応法地区。今でも多くの窯元が集まるやきものの里です。山があって田畑があって、藩政時代もきっとこんな雰囲気だったんだろうなあ―と思わせるほど鄙びた風景が広がっています。

 実はこの応法地区と、隣りの黒牟田地区は「李参平以前に磁器を焼いていたのではないか」といわれている地域で、その説の根拠として「李参平来日の翌年に亡くなったと考えられる韓人の墓がある」「古窯跡から李参平の天狗谷窯より古い年代の磁器片が見つかっている」の2つがあげられます。磁器原料自体は泉山と同じ黒髪山系のあちこちで採れていたそうですが、量としてはわずか。ともあれ、地場産業としての有田焼誕生は、その後の李参平、あなたによる「泉山発見」を待たなければなりませんでした。

まわりの自然も風景も一緒に満喫したい外山です。

 有田陶器市で外山をめぐってみました。大正創業「瑞峯窯」ではやきものが並べてある母屋でお茶をいただいたのですが、とにかく広くて立派なお座敷で驚きました。昭和39年創業「利久窯」のシャクナゲの庭はもともとそこに自生していたものを生かした築山仕立てで、なかなか見応えがありました。そのほかにも江戸時代の仕事場を今もそのまま使っている窯元や、廃校になった小学校の校舎を移築して仕事場にしている何ともレトロで懐かしい雰囲気の窯元も。目的地までの風景もあわせて、外山の窯元を気ままにドライブして回るのはほんとうに楽しいものです。

 さて、ここまで泉山から内山、外山とお伝えしてきましたが、この有田の移ろいをどう感じられたことでしょう。「ひとつの産業で400年も栄えてきた都市はほかに例がない」。有田町歴史民俗資料館館長・尾﨑葉子さんの言葉を思い出します。日本初の磁器を生み出し、世界に冠たるやきものに育て上げ、その伝統を人から人へと受け継いできたそんな有田のまちに興味は尽きません。

  来年2016年は泉山発見から数えて400年の節目の年を迎えます。言葉も習慣も違う異国の地で、そこに同化するための苦労を積み重ねながら日本初の磁器を誕生させたあなたたちに、今改めて思いを馳せているところです。    


 敬具

黒牟田地区の【利久窯】には敷地内の天然のシャクナゲをそのまま生かして造園した立派な庭がある。有田陶器市にはこれを楽しみにしている買い物客も多く、毎年ゴールデンウィークが近づいてくると窯主は花の咲き具合に気をもむという。

有田を代表する窯元のひとつ【柿右衛門窯】も「外山」エリアにある。ソメイヨシノより少し遅れて咲く名物「枝垂桜」は、それはもう見事。シーズンになると公式サイトで随時開花情報が発信される。

江戸時代からの老舗窯元【源右衛門窯】は伝統的な古伊万里の技法に現代的感覚を取り込んだ作風で全国にファンを持つ。平日はベテランの職人たちの仕事ぶりが間近で見学できる。


池田赤絵工房

内山地区の東端にある有田焼の窯元で、文政の大火では泉山弁財天社のイチョウの大木が防火壁となり辛うじて焼け残る。現在は赤絵屋といわれる上絵付け専門の工房で、気さくな池田久男・裕美子夫妻が見学者を快く受け入れてくれる。築200年以上の母屋にはの現在の作品の他、代々受け継がれる有田焼の銘品が展示されている。佐賀県西松浦郡有田町泉山1-14-18 TEL:0955-42-3472 営業時間:8:00~17:00 定休日:日曜日、年末年始


樹齢千年の大イチョウ(国天然記念物)。右が池田赤絵工房の母屋。
樹齢千年の大イチョウ(国天然記念物)。右が池田赤絵工房の母屋。

山辰製型所

有田焼は「分業制」が整っていて、窯元の他に型を作る「型屋」、生地を作る「生地屋」、上絵付けをする「赤絵屋」という高度な技術を必要とする専門分野の職業が存在する。お皿やお碗、急須など依頼主(窯元)のイメージを具体化した「原型」を制作し、それをもとに大量生産用の「石膏型」を作るのが「型屋」の仕事。サイズや容量、微妙なニュアンスまでいかに注文通りの「原型」に仕上げてみせるかが型職人の腕のみせどころだ。手作りの道具を使って最後の仕上げをひとけずり、ふたけずりでピタリと決めるプロの技はさすが! その確かな仕事ぶりから有田の「型屋」には地元だけでなく全国から注文が舞い込んでいる。山辰製型所もまた、その一軒だ。


手づくりの道具を使って繊細な陶磁器のカタチを作り上げる職人技
手づくりの道具を使って繊細な陶磁器のカタチを作り上げる職人技